八木商店本店資料館について

平成30年4月より、伊予が誇る実業界の巨人・八木亀三郎の店舗・住宅を資料館として公開中

開設のきっかけ

 保存維持にかかる費用などから、一時は取り壊しも検討された旧八木商店・八木亀三郎家住宅でしたが、平成30(2018)年4月から正式に藤高グループの私設資料館として一般に公開されることになりました。その大きな転機は、平成29(2017)年4月に株式会社藤高の藤高豊文社長(創業者・藤高豊作の孫)が、東京の古書店で八木亀三郎関係の資料を購入したことに始まります。本社機能の移転や解散で、一度は昭和初期に波止浜を離れた八木本店の資料が、約80年ぶりに里帰りを果たすことになりました。

 約半年間かけて整理したところ、幕末から昭和20年代にかけての升屋・八木商店・八木本店の商業資料と分かり、帳簿類・書簡・感謝状など1,900点余りの総数と分かりました。海事資料も多く含まれ、〝日本最大の海事都市〟を標榜する今治市にとっては、当資料館の施設・資料が海事産業の身近なルーツを知る手がかりになることでしょう。また、それら八木亀三郎の事績顕彰と併せて、藤高家が所蔵する郷土の書家・画家などの美術工芸品や波止浜塩田で使用された塩田用具の展示なども行います。

  • 八木商店本店資料館(玄関)
    八木商店本店資料館(玄関)

※令和元(2019)年6月、待望の八木亀三郎翁評伝『伊予が生んだ実業界の巨人 八木龜三郎』(大成経凡著/藤高興産株式会社/創風社出版)が出版の運びとなりました。1,900点余りの資料と来館者からの聞き取りなどによって、亀三郎翁の新たな足跡が浮かび上がってきました。好評発売中!

  • 本の表紙イメージ

建物の技法・意匠上の特徴

 八木本家の『本家新築上棟祝儀控帳』(大正7年8月吉日)によると、八木商店本店の新築にかかわった大工棟梁は津川喜一郎で、彼はロシアで洋風建築学を学んだ経験があるようです。八木漁場の番屋の建築などにたずさわっていたのでしょうか。喜一郎は、八木商店の船内炊事場のかまど設計などにもかかわっています。

 通りから見える建物の外観は、入母屋造・桟瓦葺の和風建築ですが、奥の居住棟と内蔵の小屋組は洋式トラスとなっていて、実業家の店舗・住宅にふさわしく近代的な設えが各所に施されています。中庭・裏庭に面した部屋の廊下(廊下板は つが の柾目)には、大正時代の吹きガラスを用いたガラス戸を45枚配置しています。

 棟梁が「地震請け負い候、火事請け負わず候」の自負を周囲に語ったとも伝えられ、実際に昭和の南海地震や平成の芸予地震にも遭遇しますが、本体の歪みは見られません(太い梁や礎石の配置に工夫が見られる)。水害への備えも意識され、玄関の石段は高潮対策で、中庭中央のくぼ地は、豪雨時に遊水池となる仕掛けになっていたと考えられます。裏山の回遊式庭園を含む総敷地面積は1,276坪で、建造物の床面積は238坪の広さを誇ります。建物の完成に3年、庭の整備に10年かかったとも伝えられます。

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 通りから奥に向かって建物群を見ていくと、通りに面したつし二階建の建物が玄関棟で、1階には番頭の執務室や少人数の客をもてなす茶室がありました(玄関入口にはトチ、ケヤキ、高級スギなど使用。二階は船底天井)。これと塀つづきで通りに面した平屋の建物は、大正13(1924)年5月に亡くなった亀三郎の母・米子の隠居所でした。玄関棟に接続した奥の平屋が座敷棟(天井高さ約3.3m)で、大広間の襖や板戸には横山大観の愛弟子・大智 おおち 勝観 しょうかん (今治市出身)の日本画が描かれています。亀三郎と矢野通保が、大智勝観のパトロンであったようです。そしてこの奥が居住棟となり、東に設けられた勝手口と玄関脇のくぐり戸が通路でつながっていて、店の棟からは独立して居住棟に出入りできるようになっていました。勝手口からは通り土間の右に炊事場(台所)、左に土間に沿って玄関の間・居間・茶の間などが並び、奥には親戚などをもてなしたと思われる座敷(アカマツの床柱)や家族の寝室などがありました。また裏庭に面して、二階の部屋が1室だけ設けられています。

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    大智勝観の襖絵
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 居住棟に接続して二階建の内蔵があり、この北に便所(青磁の便器)・浴室(浴槽はヒノキ材か)を配置します。内蔵は、書類や貴重品の収納、商売用の金庫として使われたと考えられます。台所の設備で目を引くのは、かまどの余熱を利用した給湯槽や流し脇に設けられた貯水装置(切石で精密に組んだ深さ9m余りの井戸)などです。波止浜では井戸水に塩分が含まれるため、共同井戸での給水に住民は頼っていましたが、老舗商家は屋敷内に独自の貯水設備を有していました。炊事場北には使用人の長屋・作業小屋・家畜小屋・蔵が設けられ、広い店舗棟・居住棟では上女中・下女中が給仕や清掃に励んでいたと伝わります。

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 中庭については、大きい自然石の多くは蟹工船がバラスト(海水タンク)代わりに樺太(サハリン)から積んで帰ってきたものとも伝えられ、これらがもとで〝蟹御殿 かにごてん 〟という呼称につながったようです。実際、八木本店所有の蟹工船が波止浜へ寄港したことはあったようで、「搭載している川崎船(漁船)の修繕をした」「波止浜船渠 せんきょ のドライドックが小さくて、船長が入渠を拒否した」「船内ランプの火屋 ほや 磨きが住民のアルバイトだった」などの話が伝わります。背後の丘陵も敷地の一部で、裏庭と中庭を結ぶ坂道の回廊があり、かつてはその丘陵から波止浜の景観(港・町並み・塩田)を一望でき、野点 のだて を楽しんだようです。

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 詳細は、調査報告書『愛媛県の近代和風建築』(平成18年/愛媛県教育委員会)掲載の「旧八木家住宅」をご参照下さい。同著掲載の平面図につきましては、防犯上の配慮から転載を控えます。この調査にあたった犬伏武彦氏は、地元紙の取材に対して〝国指定重要文化財級の建物〟とコメントを寄せ、来館された建築に造詣のある識者からも同様の感想を耳にします。

波止浜ぶらぶら歩き

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