鮭鱒 工船「神武 丸」の映像記録
大正13(1924)年に3,000総トン級の大型蟹工船 「樺太 丸」を仕立て、わが国の母船式蟹漁業の先駆(さきが)けとなった八木亀三郎とその子・實通 は、北洋からはほど遠い、瀬戸内海沿岸の今治市波止浜 の出身でした。
父子が経営する株式会社八木本店は、大正15(1926)年にも大型蟹工船「美福 丸」(2,558総トン)を仕立て、大正13年から昭和2年までの4年間、日本一の工船蟹缶詰製造量を誇っています。
その一方、八木本店は、わが国における母船式鮭鱒 漁業の先駆者でもありました。昭和に入り、企業合同が進む蟹工船業界にあって、同社はカムチャッカ半島沖の公海で母船式鮭鱒漁業にも挑戦しています。何度かの試験操業をへて、本格的に着業したのがこの映像にある〝昭和5(1930)年〟のことでした。
登場する鮭鱒工船「神武丸」の規模は5,167総トン・乗組員は491名で、当時の工船では国内有数の規模を誇りました。その期待を背負って、船主の八木實通 も乗船しています。神武丸は日本政府からカムチャッカ半島東岸沖の出漁許可を与えられ、4月中旬から9月末まで、同海域のウス・カム湾でタラバガニとサケマスの漁を行っています。
母船式鮭鱒漁業は〝沖取 漁業〟とも呼ばれ、回遊しているサケマスの群れを、沖合で一網打尽 に捕獲するねらいがありました。捕れたサケマスは母船で塩蔵鮭 や鮭缶詰に加工され、補給船の仲積船 に引き渡されました。
この映像は、もとは八木本店が撮影した8ミリフィルムで、八木亀三郎子孫の楢原 家にVHSで伝わりました。令和元(2019年)年6月に八木亀三郎玄孫 にあたる楢原太郎氏が八木商店本店資料館に来館された際、館運営に役立てて欲しいと提供を受けました。そこで、当館ではVHSからDVDに変換し、館内鑑賞用に編集(約15分)を行うことになりました。当館参観者で鑑賞をご希望される方は、予約の際にお申し出ください。
神武丸
(昭和7年撮影/『漁り工る北洋』より)
船上の八木實通(右)
〈八木弥五郎氏提供〉